ほたるぶくろ

8歳で父如心斎が亡くなり、14歳で家を継ぐ。叔父一燈宗室の指導を受け、堀内宗心、久田宗悦、不白などが後見に務めた。「不白筆記」は不白が如心斎から伝授された茶の心得を啐啄斎に宛てて書いたもの。40歳半ばに家元の建造物を火事で焼失するが、一年で復旧。侘び茶を守り、わびの極致の一畳台目の茶室を作る。60歳で隠居。65歳で亡くなる。ちなみに、「啐」は「鶏の卵がかえる時、殻の中で雛がつつく音」「啄」は「母鶏が殻をかみ破ること」の意味で、「啐啄」は、「禅宗で、禅宗の師匠と弟子のはたらきが合致すること」、また、「逃したらまたと得がたいよい時機」の意。(広辞苑より)