つつじ

久田宗渓の長男。啐啄斎に跡取りがいなかったため千家の養子になり、啐啄斎の三女と結婚。文化・文政の時代、すべての面で固定化の見られた時代に千家を継いだので、伝統を守り、それを整理した。この時代に茶事、点前の形式が決められ、現在に至っている。如心斎のころに始まった家元制度も整備された。保守的だが、豪快な性格だったらしい。