豚足

中華の食材専門店で”豚足の燻製”を見つけた。真空パックに2本入っていてどれでも一律630円。パックのまま熱湯で数分暖める。中華特有の五香粉の香りと燻製特有のなんともいえないよい香り。ひづめをよくよく眺めてから、縦に2つに割って食べ始める。皮が芳ばしい。息子いわく「豚足を食べると美人になるよー。」なるほど、コラーゲンがいっぱいのプリプリの食感。

   志野      志野袋

第5章-”Art Appreciation"

「名作は我々自身なのに、我々はその鑑賞方法を知らない。」

「人は自分の鑑賞能力以上の芸術を理解することは出来ない。」

「現代は真実の美を評価するのではなく、風評や作家の名前を頼りに評価する。自分の感覚や好みで美術品を評価することが出来ない。」

「利休さんは真に自分の好むものを集めた。つまり、美を見る目を持っていた。」

「現代は芸術と考古学を混同している。古ければよいという訳ではない。」等等。この章もやはり難解。。。

tea garden

不審庵七代目の如心斎(1705~1751)は覚々斎の長男。丁々軒(とうとうけん)、椿斎(ちんさい)、松風楼などの号を持つ。「如心斎」は紀州候から、「天然」の道号は大龍和尚から頂いた。26歳で家元を継承。茶の道は禅に通じると考え、自分に厳しく、稽古とは単に表面的な作法や点前を学ぶものではないとした。

infinal

「インファナル・アフェアⅢ」を見た。Ⅰ、Ⅱを見てないと分かりにくいと聞いていたので不安だったが、始めの10分くらい戸惑った程度。おもしろく、楽しめた。時間が前後に移動しながら話が進むので、Ⅰの内容が少し分かったようにも思う。精神が破綻していくラウ、追い詰められているようでいて、実はラウを追い詰めていくヨン。若い頃はかっこ良さが目立っていた、アンディ・ラウとレオン・ライが良い演技をしていた。評判になったのも頷ける、よく出来た映画だと思う。Ⅰ、Ⅱを絶対見ようと思った。最近の香港映画は元気がないと言われているけれど、こんなに面白くてよい映画がある。わたしの大好きなチャウ・シンチーも元気だし。

それにしても若い頃のヤンとラウ役の二人、どちらがどっちと言われなくても写真を見れば一目瞭然。

    生野  生野袋

覚々斎(1678~1730)は久田宗全の長男の勘太郎。男子のいなかった随流斎の養子となり、14歳で家元を継ぐ。宗員から宗左と改めるのは18歳頃。その後、随流斎の娘の秋と結婚。3男2女の父となる。日記と茶会記が多く残っており、資料は豊富。千家の伝統を守りながら、財力を増してきた町人達にも受け入れられる茶を、と苦心し、新風も吹き込んだ。

hはなみずき

初飾りは天板中央に茶器、地板に水指。二飾りは入り飾りのみ。総飾りは天板に茶器と茶碗。棚前に体を移動してから飾る。引き出しの中は空。柄杓、蓋置きは飾らない。割り飾りは引き出しの中に茶器を入れてから天板中央に茶碗を飾る。柄杓、蓋置きは飾らない。体は畳中央のまま動かずに飾る。

総飾りといいながら柄杓、蓋置きは水屋に引く点に注意。

teresa

有田芳生著「テレサ・テン十年目の真実 わたしの家は山の向こう」を読んだ。中国語を勉強しようと思ったとき、最初に買ったのがテレサのCDだった。だから彼女はわたしの最初の中国語の先生だ。普通語の発音の美しさと歌の上手さに感動したが、その時既に彼女はいなかった。リアルタイムで聞くチャンスがあったのに関心を持っていなかったことが悔やまれる。演歌以外の歌を歌ってくれていたら、と思う。

彼女の死は突然だったから、真実はどうなのだろう、と思い続けていたので、ミステリーを読む感覚で読み始めた。有田さんは十年以上の年月をかけて丹念に調べたことを淡々と書いているが、読み進むほどに引き込まれ、一気に読んだ。付録のちっちゃなCDがとても良い。

今日は彼女の命日だ。

takashi

四代目の江岑が紀州徳川家に仕え、和歌山の三木町に住んでいたときに残木の寄せ木で作らせた棚。

檜の柱、もみの木の引き出し、地板と天板は杉、つまみは竹で出来ていて、炉、風炉ともに使える。

同じ形で桐木地でできているものは覚々斎の好みで、江岑棚と呼ばれる。

写真がきれいに撮れなかったので息子に絵を描いてもらいました。

           しもつけ

第四章-"The Tea-Room"

「茶室は西洋建築と異なっているだけでなく、日本の伝統的な建築物とも、大きさと豪華さにおいて大変異なっている。しかし大金をかけ、厳選された材料を使い、腕のよい大工が最高の技術で作るものである。」

「立派な茶人は皆、禅を学んだ人たちであり、禅寺の祭壇は床の間の原型である。」

「禅と道教では完全を求める手順に重きを置く。」

「日本の芸術における非対称は、道教の理想が禅を通じて現れたものである。」

「茶室では客が全体を仕上げる。」

「SUKIYAとは、茶室は個人の趣味に合うように建てられるべき、という意味で『好き屋』であり、ものを一切おかず、一期一会、客に合わせた道具組みをする、という意味で『空き屋』であり、また故意に不完全な状態にしておき、客の想像力で完成させるという意味では『数奇屋』である。」

「茶室は下界の煩わしさからの避難所であるから、今ほど茶室が必要とされる時代はない」


すっかり緑  津田                     ミロノビーナス

ゴールデンウィークにどこへも行かないのはつまらないから、とおにぎりを持って近所の上水沿いを歩いた。東京国際スリーデーマーチのコースに当たっていたとは知らずに歩き出してしまった。大勢の人たちがかなりの早足で歩いているところを逆走。途中にある大学のグランドで昼食をとった。バランスがなんだかおかしいミロのビーナス、健在でなつかしかった。